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2009年5月31日 (日)

自転車

【自転車】

 右斜め方向に貴方をみた。貴方も僕をチラッとみた。貴方は黒っぽいジャンパー姿で東方向を国道二十六号線に向かっていた。僕は夕方五時丁度にマンションを出て、橘三丁目の実家へ向かうところだった。柳通りは夕闇に包まれようとしていたが、まだまだ人の顔は判別できた。自転車の数は数台でそれほど密着した走りようでもなかった。僕は中華料理屋の前を通りすぎようしとしていた。貴方は水道屋の前を通りかかっていた。僕は一瞬……この時間に何処へ行きよるんやろか? 酒でも飲みに走りよるんやろか。それとも何か佐和子に係わることやろか?」と案じたものだった。僕は貴方をみて、口許が緩んでしまった。思わずニヤッとしてしまったのだ。

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2009年5月30日 (土)

書面

【書面】

 貴方が二階からおりてくるまで、私は嘘であって欲しいと願っていた。貴方はおりてきて折り畳んだ書面をみせた。書かれた字をみて頭が真っ白になった。後頭部を壁に思い切り打ちつけた気がした。まぎれもなく、輝樹が書いた借用書であった。……五十万やて、簡単に借りよるねんな、と考えの足りないことにあきれた。「お前も金を貸してるのんやろ?」と貴方はきいた。「返ってけえへん金やな。あの馬鹿は、どぎゃんもならん。」私は辛く酸っぱい感じのするカレーを食べた。「考えられへん。どうやって返すねん? 仕事も満足にあれへんのに」私は輝樹の行く末を心配した。「破産するしかあれへん」と貴方は私に吐き捨てるようにしていった。

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2009年5月24日 (日)

返事

【返事】

 貴女はシャッターを閉める途中の僕をみつけていった。「まだ早いで。」と。僕は「今日は用事があるんや」と返事した。貴女は愛用の押し車で通りかけた。これから貴女は家のほうへ戻るのだろう。商店街から路地に入る。貴女の両手は押し車の籠のほうを押さえている。……何で、把手を押さえんのやろか?と、僕は疑問に思っている。貴女は息子に買って貰った押し車を愛用している。大事に大事に扱っているのだろう。籠を押さえて支えている。潰れないように、壊れないようにと。貴女は家の前に立ち止まると、路地の八つ手の匂いを嗅ぐ。今宵も芳醇な香りを放っている。「元気、元気」と褒めてやる。僕は九十で元気な貴女を褒めてあげたいのだ。

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2009年5月20日 (水)

痒み

【痒み】

 顎が痒い。それで顎を指でかいてみる。何となく痒みがおさまった。それでも二、三分すると痒く鳴ってくる。指でかく。その連続である。今度は左をむいてみる。布団を引っ張る。布団の端で顎をかいてみる。痒みはとまったようだ。五分ほど横をむいていたら、今度は上をむいてみたくなる。体を右のほうに寄せて天井のほうをみる。目はつむったままなので、実際に天井がみえてる訳ではない やがて階段にかすかな音がきこえる。トントントンと小さな足音がしている。……あがってきよるな、と思う。しばらくするとガラス戸が開いて嫁さんが入ってきた。彼女は布団に近づいて上布団をはねあげて中に入る。そしてチビを呼び入れている。

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2009年5月15日 (金)

警戒

【警戒】

 午後三時ごろから僕は酒が飲みたいと思っていた。……飲みたい、飲みたいとそればかりが頭にこびりついてた。そんな夕方のことである。僕は酒を買い住吉街道のお地蔵様の堂近くにあるバス停のベンチに座っていた。辺りは夕闇が迫ってきている。しかし空は青空なのだ。おまけに白い雲まである。僕は空を見上げて、カップ酒を三口で飲み干した。 徒歩で三分歩くと萩之茶屋南公園が見えてくる。公園の入り口付近に立つと青空は消えて暗闇になった。青白い街灯に通りが照らされている。公園に焚き火がみえる。ドラム缶に廃材を入れて燃やしていた。五、六人の労務者が酒を飲み、談笑している。彼らの輪に加わろうとした。しかし彼らは警戒した。

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2009年5月13日 (水)

待合室

【待合室】

 貴方が大柄な老人であることはみてわかることだ。貴方が車椅子に乗る前は、立派な体格を誇示して大股で歩いたかも知れない。しかし貴方はいま、床を四つんばいになっている。貴方の妻は、そんな貴方を手伝おうともしない。貴方は衆人環視の中を両手をついてお尻を左右にふって、はい回っている。
 貴方はやっとの思いで待合室の椅子にたどり着いた。貴方は酷く疲れたような様子をみせた。貴方の妻は、手助けすることもなく受付へ行き、平然と手続きをしていた。歯医者の受付でこのような扱いを受けているのだから、自宅では手ひどい扱いを受けているのだろうと思った。しかし貴方の妻は慈愛溢れる扱いで、貴方のリハビリ特訓をしていた。

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2009年5月 8日 (金)

年末

【年末】

 年末の押し迫った日の夕闇に貴方をみた。貴方は自転車で住吉街道を南のほうへ走っていた。僕は間逆で北のほうだった。貴方は口笛を吹いているようにもみえた。何かしら浮かれた軽快な感じだった。直前に良いことがあったのか、果してこれから良いことに向かおうとしていたのか、詳しくはわからない。 貴方は悪びれた様子もなく、焦燥感も何も感じさせなかった。ストレスのない穏やかな顔つきだった。僕の知っている貴方は中華鍋をふり、大きな肉切り包丁をあやつり、菜箸で料理を盛りつける白いユニホーム姿である 僕は貴方の作る鳥のから揚げが好みのひとつだった。小皿に醤油を入れて和カラシを溶いたところに、熱々をつけて食べたものだ。

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2009年5月 3日 (日)

精薄

【精薄】

 貴女も薄々感じているかも知れない。貴女の三十を過ぎた娘のことである。貴女の娘は両手にエコバックを持ち、片方に三キロほどの荷物や本を詰め込んでいる。
 貴女の娘の行き先は市立中央図書館である僕が貴女の娘をみかけるようになってから久しい。貴女の娘はおとなしくない。カウンターの係員に対して口に泡をためて何かを抗議していた。その詳しい内容は僕も知らない。 次に見かけたのは、天下茶屋駅前にある食品スーパーだった。サービスカウンターの係員にも図書館で見せたような表情で苦情をいっていた。その内容も僕は知らない。貴女には精薄の娘が重荷だと思う。けれども文句をいわれる係員たちの気苦労も知るべきだ。

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2009年5月 2日 (土)

空き家

【空き家】

 貴女には頭がさがる。貴女は空き家を売ることもせず、息子の家から週に一度やってくる。そして一泊して帰って行く。僕には到底その真似は出来ない。それは通ってくる場所が遠方だからである。……ご苦労さん。
 僕の住む最寄りの地下鉄で一本道である。大阪市にある空き家と茨木市にある息子の家とは、徒歩の時間も入れると四十分は必要だろう。その距離を貴女は七十六になって歩いてくるのである。……ヘトヘトになるな。
 僕は勝手な想像をしている。空き家には亡くなった夫の位牌が置いてある。仏壇には夫の両親の位牌もあるに違いない。息子の家には持っていけない。それで、貴女は苦労を押してやってくる。いつまで続けるのかな。

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2009年5月 1日 (金)

転倒

【転倒】

 貴女の行状を孫がみた場合「おばあちゃん余所の家の前に自転車を置くのはおよしよ」というだろう。貴女の夫がみたら「お前よ。余所の出入口に許しもなく自転車を置くのはやめなよ」と。しかし貴女はへっちゃらである。あなたは他人に迷惑をかけることに神経が麻痺している。他人のことを思いやることが出来なくなっている。……恥知らず。
 貴女は煙草屋の隠居として、気楽な生きかたが出来る身分である。しかし物を欲しがる悪癖がある。それが不行状の元である。貴女は年甲斐もなく自転車に跨がり、欲しい物を手に入れるために食品スーパーへやってくるそして人さまに迷惑を及ぼすのだ。貴女はいずれ、自業自得の判決を受けるのであろう。

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